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大阪高等裁判所 昭和63年(う)940号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

当審における未決勾留日数中二二〇日を原判決の刑に算入する。

当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

本件訴訟の趣意は、弁護人空野佳弘作成の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。

一  控訴趣意第一の訴訟手続の法令違反の主張について

論旨は、要するに、原判決は、被告人の検察官に対する昭和六二年七月一一日付及び同月一五日付各供述調書並びに司法警察員に対する同年七月二日付(二通)、同月三日付、同月八日付、同月九日付、同月一〇日付、同月一一日付及び同月一三日付各供述調書(以下検察官及び司法警察員に対する供述調書は、それぞれ検面調書、員面調書と記載し、作成日付についてはすべて昭和六二年であるから年度の記載を省略する。)を、本件現住建造物等放火の故意を認定する唯一の直接証拠として被告人を有罪にしているが、(一)七月二日付(二通)及び同月三日付各員面調書は、捜査機関が、当初から被告人に対し、いわゆる本件である右放火の嫌疑を有しながら、その被疑事実では裁判官から逮捕状・勾留状の発布が得られないと判断し、およそ逮捕・勾留の理由・必要性のない鎮火妨害罪で逮捕・勾留手続をとり、違法に被告人の身柄を拘束して取調べを行った結果得た自白調書であり、その他の前記員面調書及び検面調書は、いわゆる右違法な別件逮捕・勾留による毒樹の果実であって、すべて違法収集証拠であり、(二)更に七月一〇日付及び同月一一日付の各員面調書は、被告人が本件放火の故意を認めたような内容になっているが、被告人の方から取調官に訂正を申し出たのに、取調官の方で「同じ意味だ」とか、「今日は時間が遅いから書きなおしておく」とか、「わしらはこの道の本職やからプロに任しとけ」等と詭弁を弄して被告人に署名させて作成した偽計に基づく任意性のない自白調書であり、七月一一日付及び同月一五日付各検面調書は、直接捜査に当たっていた警察官が取調べに立ち会い被告人を威圧した結果得られた同じく任意性のない自白調書であって、いずれにしても前記各検面調書及び員面調書は証拠能力を有しないから、これらを証拠として挙示した原判決には訴訟手続の法令違反があり、これが判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

そこで、以下の各所論について順次検討する。

(一)  鎮火妨害罪による逮捕・勾留が違法な別件逮捕であり前記被告人の各供述調書が違法収集証拠であるとの主張について

原判決挙示の関係各証拠、並びに当審において取り調べた証人田中政彦の供述、司法警察員各作成の電話聴取書・昭和六二年六月二二日付捜査報告書・取調べメモ・「甲野(=被告人)に関する事件指揮簿謄本の送付について」と題する書面(事件指揮簿謄本添付)、被告人の七月四日付検面調書及び五月二一日付(謄本)・六月二九日付・七月一日付各員面調書(但し、被告人の検面調書及び各員面調書は、原判決挙示のものをも含め、すべて作成日付その他の記載内容を非供述証拠として使用する。)を総合すると、以下の各事実が認められる。

昭和五二年五月一五日午前一時ころ、兵庫県津名郡〈住所省略〉所在のB方木造瓦葺平屋建(面積約五六・一九平方メートル)が全焼する火災が発生した。当時、同家屋では、Bの他妻C、長男D(一三歳)、長女E(八歳)及び三男F(六歳)が就寝していた。B方では、火災を発見すると同時にCが玄関から飛び出して東隣にあるG方に走って助けを求め、同人の妻Hが火災を確かめたうえ一一九番による火災通報を行った。また、Dも慌てて自宅から二度にわたって一一〇番通報した。右電話の後、Dは、弟のFを連れて窓から屋外へ逃げ、Bが長女Eを連れて同じく窓から外へ逃げた。これらの電話通報により火災現場には、直ちに淡路広域消防組合五色出張所勤務のIらの消防職員がポンプ車で駆けつけ消火活動に当たり、また、津名西警察署勤務の警察官三名が臨場してその場に集まった者らの整理やCら関係者から事情聴取を始めた。右家屋の隣家に居住している被告人は、五月一四日の夕刻から夜にかけてBらと飲み歩き、途中から同人とは別行動をとり同人より遅れて帰宅したのであるが、右火災現場において、Cには出会ったものの、右のとおりB及びその子らが危うく難をのがれて逃げていることを知らず、これらの者が逃げ遅れて火中にあるものと思い込んで、狼狽し、駆けつけてきたIら消防職員に対し、「消防来るのが遅いやないか。中に子供がおるよってに、早う中に入って助けたらんかい」などと罵ったり、消火活動を開始したIの防火服を引っ張って破いたり、同人が持っていた防火用ホースを掴んで引っ張り、その筒先を他の者に向けて水を掛けたり、消防職員や警察官から制止されてもその場を動かずに消防職員にまつわりついたりして、かえって鎮火の妨害に当たる行動をとり続けた。右火災は、一五日午前一時三〇分ころ漸く鎮火したが、警察では、直ちに放火の疑いを持ってその捜査を開始し、B夫婦やDに対する事情聴取によって、出火直前に、被告人と思われる人物が、B方の玄関ドアを激しく叩き、「火をつけるぞ」と怒鳴っていた事実をつかみ、火災現場における異常な言動と相俟って、その火災は、被告人の放火ではないかとの疑いを強めていった。

警察では、本件を重大事件として兵庫県警察本部長が直接指揮をとる本部指揮事件に指定し、所轄の津名西警察署の警察官がその指揮を仰ぎながら捜査を進め、被告人を、昭和六二年五月一九日、二〇日、二一日及び六月一五日の四回にわたって任意に取調べたところ、被告人は、放火を否認し、自分は、火災の第一発見者でしかないと供述したが、前示のように消防職員の消火活動を妨害するような行動に出たことは当初からこれを認めていた。しかし、その鎮火妨害の動機についての供述は、はっきりせずもっぱら酒のせいにしていた。この間、被告人は、五月二一日までは、警察官の呼び出しに応じたが、その後は、「仕事が忙しい」等の理由により、再三の呼び出しに対して出頭を拒否し、六月一五日にようやく出頭してきたものである。そのために、捜査を担当した警察官らは、対策に苦慮し、放火罪による逮捕も検討したが、犯行の目撃者がおらず、犯行直前まで被告人と行動を共にしていたJも関わり合いになるのを恐れて曖昧な供述をしていたので、第三者による放火の可能性も完全に否定できず、放火罪による逮捕に踏み切ることは躊躇せざるをえなかった。一方、警察官らは、被告人が、昭和六二年五月二二日、前記淡路広域消防事務組合洲本消防署岩屋分署五色出張所を訪れ、同所長に「俺が消火活動を妨害したことを警察に言うたらしいが、それを取り下げてほしい。破った防火衣の弁償はする」旨申し出たり、同年六月一六日ころには、被告人の実父Kが火災現場に居合わせた兵庫県津名郡〈住所省略〉のL方に電話を掛け、応対に出たMに「火事のことを目撃して警察に言うたのはLさんとこか」等と言ってきたりするなど、被告人側に罪証湮滅工作的な行動があったのも探知した。

そこで、捜査担当警察官らは、管轄の神戸地方検察庁洲本支部検察官とも相談して、被告人を容疑のはっきりしている右鎮火妨害罪で逮捕する手続きをとることとし、六月二五日、裁判官の逮捕状を得てこれを逮捕し、さらに同月二七日検察官の勾留請求に基づき裁判官において被告人を勾留した。右鎮火妨害罪で強制捜査をするにあたって、これに従事した警察官や検察官の間では、同罪と現住建造物等放火罪との罪数関係の検討を経た上、鎮火妨害罪で身柄拘束中に放火罪の被告人の容疑が固まった場合には直ちに令状を切り換える手続きをとることとし、その際、後日身柄拘束の期間で批判を受けないために、放火罪での勾留延長はせず、鎮火妨害罪で勾留請求してから二〇日以内に被告人を放火罪で起訴に持ち込むようにすることが確認された。

右鎮火妨害罪で逮捕された後、鎮火妨害罪に関しては、六月二五日、同月二九日及び翌三〇日にそれぞれ被告人の員面調書が作成され、七月四日に同じく検面調書が作成されている。各員面調書の内容は、事件については従来から被告人も認め捜査当局にも判明していた鎮火妨害の外形的事実を認めているに止まり、その他は被告人の身上、経歴や被告人と被害者B方家族との交友関係等について供述しているだけで、放火に関与しているかどうかを含め鎮火妨害をなすに至った経緯については、殆んど書かれておらず、後記のように放火の事実を認めた後の七月四日付の検面調書に至って初めて、被告人が自らB方家屋に放火したこと、そして予期しない深刻な結果が発生する事態になったため狼狽し、鎮火妨害した旨の供述が詳細に記載されている。右逮捕・勾留後、鎮火妨害に対する取調べと並行して、放火に対する取調べも行われたが、被告人は、七月一日になって初めて自ら放火し、それによって火災が発生したことを認めるに至り、それを契機として、同日付、七月二日付(二通)及び七月三日付で現住建造物等放火罪を被疑事実とする員面調書が作成されている。但し、七月一日付の員面調書においては、所論指摘のとおり、被告人は、事件当日B方玄関内でライターに火をつけこの火がB方家屋に引火した事実を認めているが、ライターに点火したとき同家屋の焼燬の意思まで有していたことについての明確な供述は記載されていない。七月二日付の二通の員面調書の内容は、被告人がそれまで放火を否認していた理由、今回それを自白するにいたった心境の変化、犯行に至るまでの行動が記載されている。七月三日付の調書で初めて本件放火の犯行状況に関する供述が放火の未必の故意を含めて明らかにされている。

右自白がなされた後、七月四日、前示のように、検察官が最終的に鎮火妨害罪について被告人の取調べを行った上、勾留中の被告人を一旦釈放し、警察官において被告人を直ちに現住建造物等放火罪で再逮捕し、七月六日同罪で勾留手続きがとられ、同月一五日、被告人は、同罪で起訴された。

以上の事実が認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

右認定事実に基づき、鎮火妨害罪による逮捕・勾留の違法、それらの違法を前提とした被告人の捜査官に対する所論指摘の各供述調書の証拠能力の欠缺を主張する所論の当否について考察する。

所論は、まず鎮火妨害罪について、客観的に鎮火に悪影響を与えた被告人の行為はあったものの、それは火の中にとり残されたかもしれない子供達を助け出したい一念から出た行動であって、被告人には鎮火妨害の故意が存せず犯罪が成立しないものであり、仮に犯罪になりうるとしても、現場に警察官が居合わせ現行犯逮捕しようと思えばできたものを、あえてそうした措置をとらなかった軽微な事案であり、目撃者も多数いたのであるから立証も容易であり、ここで被告人を逮捕・勾留しなければならない理由も必要性もなかったと主張している。しかし、一般的にいって鎮火妨害罪は、各種放火罪の補充規定であるが、火災の際にその消火活動を故意に妨げる行為は、公共の安全に対して重大な危険を及ぼしかねず、したがってその法定刑も一年以上一〇年以下の懲役刑という重大な犯罪とされているのである。そして、本件についてみると、任意捜査の段階において、鎮火妨害の外形的事実は、関係者の供述によって明らかになっていたばかりでなく、被告人もこれを認めており、被告人に鎮火妨害行為に対する認識・認容、したがって故意のあったこともその行為自体から推認され、逮捕・勾留の要件として同罪の嫌疑は十分であったと認められる。しかも前記のように、その鎮火妨害行為は、現に消火活動に従事している消防職員に対するかなり程度の高い暴行を伴ったものである。もっとも、被告人は、任意捜査の段階においては、鎮火妨害の動機について、曖昧な供述しかしておらず、一方その行為自体からは、その目的が燃焼中の家の中に取り残された子供の救出にあったことがうかがわれるけれども、当時判明していたすべての犯情を考慮しても、本件鎮火妨害罪をそれほど軽微なものであるとみるべきであったとは認められない。次に、逮捕の必要性・勾留の理由及び必要性についてみるに、前認定のとおり、被告人側に、具体的な罪証隠滅工作的な行動はあったとしても、実効性に乏しいものであって、勾留の理由としての罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由があったとまでは認めがたいが、被告人には、当時放火についてもかなり根拠のある嫌疑が掛けられており、被告人自身も、放火について警察官から事情聴取を受け犯行を否認するなど、このことを十分知悉しており、逮捕前から次第に任意出頭を渋るようになって再三出頭を拒否した事実のあることに加え、被告人の身上、境遇、生活状況などをも考慮すると、当時被告人には、逃亡すると疑うに足りる相当な理由があったというべきである。したがって、本件鎮火妨害罪による被告人の逮捕・勾留は、その理由と必要性があったものといわざるをえず、これを否定する所論は採りえない。

もっとも、被告人には、当時放火の嫌疑がかけられており、前認定のとおり捜査官側は、鎮火妨害罪による逮捕前から同罪による逮捕・勾留を利用して、放火についても被告人を取り調べようとする意図を有し、現にその取調べを行っているのであるから、この点からも検討を加える必要がある。

たしかに、前記認定の事実から判断すると、捜査官側は、鎮火妨害罪により被告人について、逮捕・勾留手続きをとるについて、その主観的意図においては、すでに犯罪の嫌疑が十分で、動機に解明されない点が残っているに過ぎない同罪よりも、より重大でかなりの嫌疑もあるにもかかわらず被告人が否認を続けている放火について被告人を取り調べることを主たる目的としていたものであり、鎮火妨害罪の取調べといっても、主としてその動機、すなわち被告人による放火の事実の存否と密接に関わる事実についての取調べを意図していたに過ぎないものであったと認められる。被告人の取調べ以外の証拠収集についても、鎮火妨害罪のそれはすでに殆ど収集し尽くされており、以後収集保全されるべき証拠は、おおむね鎮火妨害の動機に関するものを含む放火についての証拠に限られていたものと推認され、罪証隠滅といい逃亡といい、それは主として放火の嫌疑との関係で問題になるものであるということができる。このような場合、被疑者の身体を拘束する必要があると考える捜査官としては、放火罪についての資料を収集し、同罪について逮捕状の請求をすべきものであって、安易に鎮火妨害罪によって被疑者の身体の拘束を求めるべきものではないと考えられる(本件鎮火妨害罪による逮捕状請求の時点においても、放火罪による逮捕状発布の可能性はあったものと認められる。)。

しかし、翻って、放火罪と鎮火妨害罪の関係をみるに、放火した犯人がその火災継続中に鎮火妨害罪にあたる行為をしても、同罪は前者に吸収されて成立せず、両者は法条競合の関係にあるということができる。すなわち、同一火災に関しては、実体法上同一人について鎮火妨害罪と放火罪との二罪が併存的に成立することはなく、鎮火妨害罪の成否は、放火罪の成否に依存しているのであって、手続上も、鎮火妨害罪による被疑者の逮捕・勾留の効力は、元来同一火災に関する放火罪にも及ぶものであり、捜査の実際についてみても、鎮火妨害罪の動機の解明の過程で、取調べはおのずから放火罪の嫌疑の究明に及ぶ関係にあるばかりでなく、そもそも鎮火妨害罪の成否を判断するには、同一人に対する放火罪の嫌疑について究明することが必要であるとさえいえるのである。してみると、本件鎮火妨害罪による被告人の逮捕・勾留の目的が、捜査官の主観的な意図において、主として鎮火妨害罪の動機の解明ないし放火罪の取調べにあったとしても、これを違法な別件逮捕・勾留ということができないのは明らかである。しかがって、鎮火妨害罪による逮捕・勾留が違法であることを前提として、その指摘する被告人の検面調書及び員面調書の証拠能力の欠缺を主張する所論は、これを採ることができない。なお、鎮火妨害罪と放火罪との間に、右に説示したような関係がある以上、鎮火妨害罪による逮捕・勾留中に放火罪について被告人を取り調べることが許されるのは明らかである。たしかに本件においては、所論指摘のとおり、鎮火妨害罪による逮捕・勾留中、実質的には別罪である放火についての取調べを行うに当たって、取調官は、被告人に取調受認義務がないことを告知していないが、以上のような事情のある本件ではその瑕疵によって右各供述調書の証拠能力を否定することはできない。また、本件では、七月一日に被告人が放火について自白し始めたのに、捜査官は、なお鎮火妨害罪により勾留されたままの被告人について放火の取調べを続行し、七月四日になって初めて被告人を釈放し、放火罪により再逮捕している点も問題であるが、七月一日から同月四日までの被告人の取調状況は、前認定のとおりであり、被告人の放火に関する完全な形の自白が得られたのは、七月三日であり、その後の放火罪での逮捕・勾留期間をも考慮すると、この点でも被告人の供述調書の証拠能力を否定することはできない。結局所論指摘の被告人の各供述調書は、証拠能力を欠く違法収集証拠ということはできない。

(二)  自白調書が任意性がないとの各主張について

被告人は、原審でも当審でも公判廷で、所論のごとく警察の取調べに対して読み聞かせの段階で訂正を申し出たのに、取調官が応ぜず、種々の偽計をもちいて署名をさせられた旨供述しているが、調書上訂正を申し立てた具体的箇所については明らかにしておらず、関係証拠に徴しても到底その供述を措信することはできない。

次に、関係証拠によると、被告人に対する身柄拘束中の放火に関する検察官調べは、七月一一日津名西警察署において、七月一五日神戸地方検察庁洲本支部において、それぞれ行われており、そのうち後者の取調べの時、警察での被告人の取調官であった津名西警察署司法警察員田中政彦が被告人を同検察庁まで押送し、検察官の取調室に在室していた事実が認められ、この点に関して同人が当審証人として、人手の問題等いろいろ弁解するところは、到底納得を得られるものではないが、その際同人が取調べに介入したとか、被告人を威圧した事実は認められず、員面調書の任意性に疑いのない本件では右事実が検面調書の任意性に影響を及ぼすとは考えられない。

いずれにしても、記録及び当審における事実取調べの結果をすべて検討しても、所論の指摘する被告人の自白調書に任意性を疑わしめるものはない。

したがって、所論指摘の検面調書及び員面調書について、その証拠能力の欠缺を理由として法令違反を主張する論旨はいずれも理由がない。

二  控訴趣意第二の事実誤認の主張について

論旨は、要するに、被告人には建物焼燬の故意が認められず、被告人は無罪であり、原判決は事実誤認を犯している、というのである。よって、検討するに、原判決がこの点に関し事実認定の補足説明の項で説示しているところは概ね首肯することができ、原判決に所論のいう事実誤認はないが、なお、若干の説明を付加しておく。

原判決挙示の関係各証拠(但し原審第一、二回公判調書中の被告人の供述部分を除く)によれば、以下の事実が認められる。

被告人は、昭和六二年五月一四日午後四時ころ、本件被害者B及びJと飲酒に出掛け、まず焼肉店「○○」で飲酒し、その際、三人の間で同店の勘定を被告人が負担し、次に大衆食堂「××」に遊びに行ってその代金はBが支払い、更にJの行きつけの「ライブハウス△△」に行き同店における飲食代金は同人が負担するとの約束が交わされた。被告人は、午後六時三〇分ころ、B及びJと「○○」を出る時、約束どおりそこでの三名の飲食代金八、二〇〇円を支払ったが、二軒目の「××」でBが酩酊してしまい、同人は、午後八時ころ約束を破って被告人らに断りもなく出てしまった。以後被告人は、乗り気でないJを誘って予定どおり「ライブハウス△△」で飲酒を重ね、翌一五日午前〇時四〇分ころ、同店の経営者に自動車で自宅の近くまで送って貰い、自動車から降りて徒歩で自宅に向かっているうち、酒の影響もあって、段々Bが約束を破って被告人らを残して黙って出て行ったことや、二週間ほど前同人の妻CからB宅の玄関のガラスを割った疑いをかけられたこと等を思い出して腹が立ってきた。そこで、Bを叩き起こして文句を言おうと考え、狭い路地を挾んで自宅の南隣りにあるB方に赴き、「こら、Bしゃん、おるんか出てこい」「こら、あけろ、出てこい、こんな戸めんだる」などと怒鳴って戸を叩き、あるいは足蹴にして玄関の引き戸をはずしてしまった。B方では子供が被告人の剣幕に恐怖を抱いたが、夫婦は、被告人が酒に酔って暴れていると考え、黙殺していた。被告人は、誰も玄関に出てこようとしないため、ますます憤激の情を募らせ、同日午前一時ころ、右玄関内において、「燃やしたろか」と怒鳴って、喫煙のため携帯していたライター(当裁判所昭和六三年押第二九六号の1)を取り出し、右玄関内の物干し竿に掛けられていたタオルに点火した。

B宅は、建築後少なくとも数十年を経過している古い木造建築で、しかも被告人が侵入した玄関内には東側の壁に沿って背の高い幾段にも別れた木製の棚が設置されており、その棚の上には新聞紙、ダンボール、帽子等の燃えやすい物が雑然と置かれ、右棚と四、五〇センチメートルに接してこれと並行する形で物干し竿が置かれそれに乾いた前記タオルが掛けられていた。被告人は、常日頃B方玄関に出入りして、かつ、前日Bを誘い出した時にも、同所に立ち入っていることから、右玄関内の様子を認識していた。

被告人は、右タオルに火をつけ、なんら消火行為をしないまま一旦玄関の外に出て隣の自宅に逃げ帰ったが、B方が大きな火災となるのが心配となったため、火災が自分の行為に起因するものであることを悟られないように隣の火災を家人等に知らせようと考え、二階の自分の部屋に駆け込むと、着ていたジャンパーとズボンを脱ぎ捨て下着だけの寝姿になって、火をつけるのに使ったライターを片付けたうえ、再び階段を駆け降りながら自己の家族に大声でB方で火災が発生していることを知らせ、自宅の電話を使って一一九番通報をしようとした。もっともその電話は話し中で通じなかった(その後の被告人の行動等については前示の通りである。)。

以上の事実が認められる。被告人は、原審及び当審の各公判廷で、故意にタオルを燃やしたことはなく、B方玄関に入って暗くて何も見えなかったので、明かりをとるつもりでライターに火をつけたところ、その火がタオルに引火した、と供述しているが、被告人が何故深夜B方に押しかけその玄関内で明かりをつけて内部を見分する必要があったのか説明がつかないことに加え、出火後の被告人の行動に照らすと、右弁解は信用できず、その他右認定に反する被告人の各公判廷の供述は、措信できず他に右認定を覆すに足る証拠は存しない。そして、右認定事実によれば、被告人は、右のようにタオルに火をつけるに当たり、その点火により火がB方に燃え移ってこれを焼燬するに至るかもしれないと認識したが、大事に至るまでにB方家人がこれに気づいて消火するであろうと考え、あえて点火行為に及んだものである事実を優に推認することができる。

ところで、所論は、(一)被害家屋は、老朽化した木造の建物であるうえ、火災発生時は深夜でB方では日頃被告人がかわいがっていた小さい子供達を含めて大勢が寝ており、火災が発生すれば、これらの人命にかかわることであるから、原判決の認定した動機だけでは本件放火の動機として不十分であること、(二)被害者の家屋と被告人方家屋とは隣接しており、被害者方の焼燬は、とりもなおさず、被告人の家の焼燬を意味するので、そのような結果を被告人が認識、認容する筈がない、(三)仮に、被告人に被害者建物内の物干し竿に掛かっていたタオルを燃やす意思があったとしても、その建物自体を燃やす意思までは例え未必的にもなかった、(四)被告人は、タオルに火がついて一旦それを取って火を消そうとしており、そのことは被告人が建物焼燬を意図していなかったことの証左であるとして、原判決の故意の認定を論難しているが、所論の結論には以下の点から到底左袒することができない。

被告人は、前認定のとおりB方家屋の状況とりわけ玄関には燃えやすいものが散らばっておることを熟知しながら、同家屋の火災直前あえてB夫婦の方に向かって「燃やしたろか」と怒鳴ったうえ目の前のタオルに火をつけて逃亡しているのである。また逃亡時及びその後の被告人の行動も誤って火を失した者の行動として甚だ不自然である。すなわち被告人は、タオルに火がついたのに、現場で直ちに消火活動に移るとか、Bの家族に危険を知らせる等の措置をとらず、咄嗟に自宅に逃げ帰り、自分が放火犯人と疑われないように工作をしているのである。所論は、被告人がタオルに火を失した後直ちにこれを取り払おうとしたが火の回りが速くてできなかったと主張し、被告人も、各公判廷ではそのように弁解しているが、兵庫県警察技術史員坂本信晴外一名作成の鑑定書によれば、Bの記憶に基づいて本件火災現場を再現したうえ、放火実験をしたところ、ライターでタオルに点火後木棚の上の新聞紙に着火するまでに三八秒かかっており、その時間は、条件次第で若干の差異は出るにしても、タオルに火がついた後、被告人において直ちに右タオルを土間に叩き落とす等して火が家屋に燃え移ることを効果的に防ぐ手段をとる時間的余裕は十分にあったものと認められ、この点を踏まえて、被告人の前記行動をみると、被告人は、火がついたのを放置したまま自宅に逃げ帰ったと優に推認することができる。そして、被告人は、捜査段階において、前示のとおり途中から本件を自白するに至りその趣旨の被告人の自白調書が作成されているが、それらの供述調書の任意性に問題がないことは前示のとおりであるところ、それらは放火の動機、犯行状況、犯行後の行動に至るまで詳細且つ具体的であり、被害者家族やその他の関係者の供述とも符合し信用性もあると認められ、これらの自白をも併せ考えると、前記のように被告人に本件放火の未必的故意のあった事実には、全く疑問を容れる余地がない。もとより、捜査段階で被告人も供述しているように、被告人が放火の時点で、B方を全焼してやろうと考え、あるいはBの家族の生命まで危険に晒すような重大な結果が発生するとまで予想していた事実はなかったと考えられ、当時の被告人の気持は、BやCに対する腹立ちから脅しまたは報復として火をつけ、場合によっては建物の一部が燃えて、B方家人が消火するものと判断したと考えられる。その他所論のるる述べるところをつぶさに検討しても、原判決の故意の認定に誤りは認められず、論旨は理由がない。

よって、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却することとし、刑法二一条、刑事訴訟一八一条一項本文をそれぞれ適して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 石松竹雄 裁判官 高橋通延 裁判官 正木勝彦)

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